朝礼は、誰のためにあるのか
朝礼に意味があるのかを考えるとき、「意味がある / ない」で答えを出そうとすると、たいてい水掛け論になります。分解したほうが早い。
朝礼が担っている機能は、おおむね3つです。
1. 情報共有
今日の予定、連絡事項、注意喚起。
この機能は、朝である必要がありません。そして口頭である必要もほとんどありません。文字で残せば、遅れて出社した人も、休んでいた人も、来月入社する人も読めます。口頭の朝礼は、その場にいた人にしか届かず、記録も残らない。情報共有の手段としては、性能が低い部類に入ります。
朝礼の情報共有部分は、書き置きに置き換えられます。
2. 同期
顔を合わせ、様子を見て、その日の稼働を揃える。誰が来ていて誰が来ていないかを把握する。
この機能には、実質があります。特に交代制の現場や、対面での引き継ぎが必要な業務では、同期の時刻が業務そのものです。ここを否定すると仕事が回らない。
ただし確認すべきことがあります。その同期は、全員に必要か。 全員が同時刻に揃うことが必要な業務と、そうでない業務が、同じ部屋で同じ朝礼に出ている組織はとても多い。同期が必要な人だけが同期すれば、必要のない人は分布のどこにいても支障がありません。
3. 儀式
ここが本題です。
理念の唱和、社訓、体操、持ち回りのスピーチ、「今日も一日頑張りましょう」。これらは情報共有でも同期でもありません。姿勢を確認する行為です。
儀式には効果があります。所属感が生まれ、切り替えのスイッチになり、一体感が出る。それを全部否定するつもりはありません。
問題は、儀式が出席によって評価されるときに起きます。朝礼に毎日きちんと出ている人は熱心に見える。遅れて入ってきた人は、全員が並んでいる前を通ることになる。ここで測られているのは仕事ではなく、朝の時間帯における体の状態です。
そして、朝の時間帯における体の状態は、かなりの部分が生まれつき決まっています。
朝礼という装置が実際にやっていること
朝礼は、「朝に強い」という性質を、毎日、全員の前で、可視化します。
成果は見えにくい。誰がどれだけ貢献したかは、しばらく経たないとわからない。一方、朝礼に間に合っているかどうかは、その瞬間に、部屋の全員に見えます。
見えやすい指標は、見えにくい指標を押しのけます。組織の中で「あの人は熱心だ」という評判が形成されるとき、朝礼への出席状況は、実際の成果よりずっと早く、ずっと強く効きます。
これが、当協会が朝礼を認定基準に入れている理由です。朝礼そのものが悪いのではなく、朝礼が「朝に強いかどうか」を毎日全員の前で表示してしまう、その副作用のほうを見ています。
廃止しなくても、できること
当協会は「朝礼を廃止せよ」とは言いません。3つの機能のうち、実質があるものは残せばいい。提案はこうです。
- 情報共有の部分を、文字にして残す
- 同期の部分を、本当に必要な人の範囲に絞る
- 儀式の部分を、出席や評価と切り離す
この3つをやると、朝礼は残ったまま、朝礼が毎日配っていた採点だけが消えます。やめなくていい、というのが結論です。
朝礼は、誰のためにあるのか。答えが「もう誰のためでもないが、やめる理由もないので続いている」なのだとしたら、そこだけ、一度見てもらえないでしょうか。誰のためでもない習慣のために、毎朝ひとりかふたり、朝が苦手なだけの人が、少しずつすり減っているかもしれないので。
当協会は医療機関ではありません。本稿は睡眠に関する診断・治療についての助言ではなく、社会制度と設計についての主張です。 睡眠に関する困りごとが日常生活に支障をきたしている場合は、専門の医療機関にご相談ください。 当協会は参加者に診断を求めず、医療上の判断も行いません。